シンポジウム

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2006年(平成18年)2月13日

創立30周年記念シンポジウム「日本酪農の基盤を考える」

第1報告『価値競争に対応した生乳の生産・流通』

中央酪農会議事務局長 前田 浩史 氏

1.はじめに

2006年度の計画生産は十数年ぶりに大変厳しい減産計画に突入します。これは曲折がありながらも右肩上がりだったこれまでの飲用牛乳消費がついに構造的な減少基調に転じたという背景があります。

この大きな変化には2つのメッセージがあると思います。1つは牛乳の消費構造の変化です。牛乳は家庭消費型飲料といえますが、女性の社会就労率の向上にともない家庭内での食事の機会が少なくなり、食事時の飲料も牛乳から茶系飲料に変化しました。もう1つは消費者から酪農乳業界へのメッセージ。つまり酪農乳業が牛乳の消費構造や消費者の価値変化に対応できなかったことに対し、消費者が敬遠したのではないかというものです。数年前、牛乳消費が一番増える夏場に品薄・欠品する事態が続きました。それは酪農乳業界の対応力の弱さだと考えます。今の牛乳の消費減少は酪農乳業の対応力を問うメッセージと受け止めるべきではないか、というのが本日の基本的な視点です。

2.生産と消費の関係を規定する生乳流通の特性と構造

生乳は腐敗しやすく、水分を90%近く含むため、小ロットの流通はコスト高になります。そのため生乳は合乳し大きなロットで流通するのが生乳流通の基本的なあり方と考えられてきました。また戦後、乳製品の自由化が進む国際的な環境のなかで、国際競争が厳しくなる市場と競争が少ない市場で価格形成を分離(デカップリング)させた用途別取引制度は、わが国の戦後の酪農政策で最も重要なポイントと考えます。この制度を維持するには2つのツールが必要です。1つは異なった価格形成(用途)を最終的にプールした乳価で生産者に支払う指定生乳生産者団体制度。もう1つは、その用途が確実に市場に販売されることを担保する行政による用途別認定です。その結果、多くの生産者はどのような用途で生乳が販売されるかを意図せずに生乳生産することになり、生乳生産と牛乳・乳製品市場が連動しづらくなるという問題に発展します。実は、わが国酪農の中・長期的メリットを考えたとき、生乳流通と用途別取引制度が持つ優れた機能によって生産と市場とが乖離するというネガティブな側面をいかに調整するかが大きな政策視点であり、今後問われる問題だと思います。

また、最近の生乳流通の特徴は広域化です。都府県の構造的需給ギャップを広域流通が調整することは非常に意味がありますが、もう一方で生乳産地が特定しづらいという特徴があります。例えば消費者が産地指定を希望しても、今の仕組みでは難しい側面があります。その意味で広域流通は消費者と生産地の距離を遠隔にしているとも考えられます。

3.生乳生産基盤の安定・強化の方向性は?

わが国の酪農は国際競争力を身に付けるために規模拡大やコスト削減を続け、急速に成長を遂げました。また酪農政策もそうした考え方で進められてきたと思います。しかし今後、規模拡大やコスト削減といった方向が市場から真に評価される力になり得るのかを今一度考えるべきではないでしょうか。

この数年間、優れた乳業メーカーは高付加価値牛乳を比較的高い価格で売る販売戦略で成功しましたが、その一方で安い価格の商品は次々と終売となっています。このことからも単に価格を下げるだけでは消費者の評価は得られないことがわかります。生乳が市場で安定的に販売されることが生産基盤の安定・強化の大前提とすれば、牛乳は消費者や小売業から明確に評価される位置付けを確保する必要があります。その意味で牛乳の競争力の実態を正確に把握する必要があります。消費者がどのような商品や価値を求めているのかを念頭に置きながら、自分たちの問題意識を変える意識改革ができなければ、酪農乳業界は総合力を確保するに至らないのではないかと思います。

「価値競争」というコンセプトは、市場の評価が「価格」から「価値」に移行しているのではないかとの視点から生まれました。この用語は5年ほど前からよく聞かれるようになりましたが、さらに15年ほど前から、「消費者は十人十色ではなく一人十色」だといわれてきました。おそらくこれらは大量生産大量消費という時代の次の時代を表現した言葉だと思います。消費者は「一人十色」でこれからの市場は「価値の競争」なのです。

我々は牛乳消費拡大に向け様々な活動や調査を行っています。中高生を対象にカルシウムの重要性を訴える骨密度測定も全国で展開しています。しかし、骨密度測定を受けた高校生が良い測定結果を聞くと安心して牛乳を飲まなくなるという事例があります。同様の事例はアメリカでも報告されています。このように消費者ニーズを的確に判断しないプロモーションは、我々がポジティブで有益だと思う情報でも、実はネガティブな情報につながることがあるのです。そこで考えるべきは、消費者ニーズの多様化の実態を正確に把握して、日本の酪農や生乳が消費者に評価されるための具体的な方法を整理し、それを踏まえた生乳の流通や取引を考える視点が重要だと思います。

用途別取引制度はわが国の生乳流通を支える基本的な制度で、異なった用途(市場)の価値を価格に反映させる優れた制度ですが、不完全な部分もあります。例えば、大消費地帯で消費が期待できる発酵乳や生クリーム向けなどの新しい用途を作り生乳取引を試みても、現行制度で広域生乳に用途が配分されるのは加工向けと飲用向けだけですから、その地域で新しい用途を拡大すればするほど、結果的に地域の飲用乳シェアは縮小することになる、などです。生乳取引で用途の多様化が進んだのは、消費者や小売流通業の様々な意向を受けて生乳取引に工夫を凝らした結果なのですが、取引を支える制度そのものに不具合があるとすれば、新しいニーズに対応する変革が非常に難しくなります。

以上のことから生産基盤の安定・強化を図るには、さらに「市場で評価される競争力」、すなわち「本物の競争力」を築く必要があります。また、市場の様々なニーズに流通段階で対応できない制度や構造的な仕組みがあるとすれば、改革が必要であると提起せざるを得ないと思います。

4.「価値競争」の時代に対応するためには?

価値の多様化は消費行動だけに現れるのではなく、日常生活のすべてに現れるのだと思われます。今まで酪農経営は規模拡大や省力化投資という同じ方向性を追求してきました。ところが現在の酪農には様々な経営が存在します。チーズ生産を目的とする酪農経営。乳製品製造部門を導入し経営組織を多様化する酪農家。若い後継者を中心に酪農教育ファームやグリーンツーリズムなどに価値を見出す酪農家もいます。今後は個々の酪農家の人生観、価値観、職業観などにあわせて、さらに多様化するでしょう。生乳生産は酪農を通じて人生を豊かにするための様々な価値観を実現する場であり機会だという視点を多くの酪農家が持っているとすれば、これは消費者における価値の多様化と同じことが酪農生産現場でも起こっているということです。消費者が牛乳・乳製品に様々な価値を求める行為に対し、酪農家は自分の人生の価値を表現した生乳生産で応える。その2つの行為を連動・連結させることができなければ、新しい時代に対応した生産者と消費者の関係を構築することは不可能です。これは抽象的でまったく新しい理論です。しかも今までの政策展開や関係機関・組織もこのような議論の経験はほとんどありません。しかし、消費の場面や酪農現場で新しい価値変化が起きているのは事実であり、そこに生乳流通や政策のシステムを結びつけなければ、わが国の酪農の持続的発展は難しいと考えます。

平成18年度の計画生産は減産計画です。今までの計画生産の議論は、当面の需給緩和を突破する技術的な議論に過ぎませんでした。そのなかに十年後二十年後のわが国酪農のあるべき姿まで考えられたかは疑問です。今、我々が考えたいのは、「日本酪農100年構想」です。100年後にわが国の酪農乳業が活力ある産業として存在するために、今何をすべきかという視点ですべてを考え直す時期ではないかと痛感しています。

時代は新しい価値を求めて大きく変化します。それに対応するために社会システムの総合的な見直しが始まっています。同様に酪農乳業界でもシステムの構造的な見直しを根底から議論するべきです。今までの生乳流通は指定団体に生乳を集約し合理的かつ安いコストで乳業、消費者に届けることが求められてきました。この方法は重要で多くの成果を得ましたが、今や多様な酪農経営で生産される様々な価値と消費者が求める様々な価値を結びつけるには太いパイプだけではなく、様々な種類の細いパイプをつなぐ必要があるのです。しかし、そこには用途別取引制度が関係してきます。その制度のもとで新しい流通を作るには、高度に管理されたせ生乳流通が必要ですし、生産者と消費者の価値や信頼の連携を図るという視点のバックアップシステムの構築も不可欠です。

近年、マーケティングの世界ではブランドの議論が盛んです。一般的にブランドは、いかに情報処理コストを低減できるかという機能を持つといわれます。例えば家電を購入するとき、多くの人はインターネットで情報を収集しながら品定めをします。おそらく今後は牛乳・乳製品の情報も氾濫していくでしょう。そうすると消費者は正確な情報を確認するために、インターネットで生産現場や乳業メーカー、流通など様々な情報を確認しながら商品を選ぶという時代になるでしょうし、そのような動きに対応するため、酪農乳業界も様々な情報を提供するでしょう。だからこそブランドが有効なのです。情報を集めて処理するエネルギーとコストを最小限にできるのがブランドであり、まさに消費者と生産者との信頼関係につながるのです。細かい情報を得なくても信頼して買うことができ、人に勧めることができるブランドが要求されているのです。

価値競争の時代はブランドの時代です。まず「日本の牛乳」というブランドをいかに作るか、次にそれぞれの生産者や生産地域が持つ特性や価値をブランド化することで消費者との信頼関係が確保されると考えます。しかしそこで問題なのは、ブランドを客観的に管理し信頼性を担保していくことです。そこで指定団体が生乳流通の信頼性を確保するために高度な管理と流通システムを構築し、その周辺でも様々なシステムを設ける必要があるでしょう。生乳流通に関わるすべての人がwin-winの関係を構築してこそ、初めて適正なサプライチェーン、高度な管理、信頼に値するシステムができるのです。したがって「ミルクチェーン」の全工程における「関係性」の改革とは、生乳流通だけを示すのではなく、物、人、システムなどあらゆる物の相互関係を示すのです。その改革によってミルクチェーンの適正化や信頼される流通システムが築かれるのです。

5.最後に

今、我々は牛乳消費低迷や消費者ニーズの多様性など、予想もしなかった変化のなかにいます。その新しい変化のなかで、従来のシステムや生乳取引などが通用するのかということを今一度考えてみたいのです。国際化、指定生産者団体制度、それらに対応した政策など、様々な問題をそのような視点から点検するべきです。「多様性の共存」、「多様な価値の共存」をキーワードとして、将来の日本酪農を考えた基盤強化のために、意識改革とシステムの改革が必要であることを問題提起させていただき、報告を終わりたいと思います。

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