シンポジウム
2014年(平成26年)1月31日
国産飼料を最大限に活かした酪農の再構築Ⅱ-地域の取り組み事例と課題-
牛乳の価値-インスピレーションのその後-
千葉県香取市(株)長嶋代表取締役 長嶋 透 氏
日本で最初の牛乳取引は、日米修好通商条約の交渉に来たアメリカ合衆国の全権公使ハリスが、長期化した滞在によって体調を崩した時に、米国で毎朝飲んでいた牛乳を欲し、随行員であったヒュースケンが伊豆下田の農家の役牛の乳を買い上げたのが最初と聞いています。それ以前は、特別な人々の嗜好品のようなものでした。
開国以降に来日する西洋人が増えたことや、文明開化がもたらした洋風食の流行などによって、東京や近郊で牛乳生産・取引がされるようになってきました。間もなく、ホルスタイン種やガーンジー種などの乳用種も輸入され、飼育されるようになりました。
敗戦によって欧米文化の礼賛がされ、牛乳の消費量も増加しました。これは小柄であった日本人の体躯が、平均身長で10数センチも伸びた一因と思われます。
また、現代日本の健康問題としての骨粗しょう症の予防対策としても、牛乳乳製品の摂食が推奨されています。
最近では、ヨーグルトの乳酸菌の効能が脚光を浴びています。チーズもナチュラル派の支持が増え、パスタやピザに欠かせません。消費量も伸びています。ケーキの美味しさは、牛乳由来の生クリームが決め手でしょう。このように、牛乳は日本の食卓に不可欠となっています。安易に価格のみで輸入に頼ると、海外からの飼料原料のように、生産国の事情や競争相手国の台頭、為替の変動などで日々の食が脅かされかねません。
高度経済成長時代は日本の酪農業界も右肩上がりの成長を続けましたが、平成になってから生産量のピークを迎えました。その後、飲料の多様化などによって需要が減り、今は生産量・飼養頭数も漸減しつつあります。
酪農産業は一朝一夕に形成できません。乳業メーカー・飼料製造業・各種機械業者・獣医診療・薬品・運送・行政機関や研究者などが全て無ければ成立しません。無くすことは簡単ですが、作り上げるには、たいへんなエネルギーを必要とします。
北海道や東北の冷涼な地域では、開拓にたいへん苦労された時代を乗り越え、野菜や米の生産が難しい気候であっても牧草を栽培することで、乳牛を飼養し牛乳を生産してきました。消費者に届けるには距離がありすぎるので、バター・脱脂粉乳やチーズに変えて食卓に届けられています。酪農によって作られた風景はとても良く、観光資源としても価値があります。しかし、担い手の高齢化による離農から、酪農が主業の地域では、農家戸数の減少が地域問題となりつつあります。
府県では稲藁や粕を使っていた時代から、輸入飼料や資材に頼る牛乳生産を行っていました。近年では、円安や輸入競争相手の台頭で飼料コスト高となり経営が難しくなっています。また環境対策もコスト増加の一因です。
今、世界に目を向けると人口増加による食料不足の懸念があります。食料生産には必ず水が必要です。現代人は毎日2000Lの真水を使っているそうです。飲料水としては数Lですが、生活水は数百L、一番多いのが食品を作る時に使われる水です。北米で作られる牧草の製造コストの一番は、種子代や肥料代ではなく、灌漑用水費用だそうです。国力が強いときはいいですが、輸入が永遠に続くでしょうか。
日本では二千年以上も前から稲作が行われてきました。温暖な気候も稲に適していたと思います。稲は遺伝子組み換えや雑種強勢もしていません。連作障害も無く沢山の水を必要とします。水資源に恵まれた日本にベストマッチの植物と思います。私たち農業者は、多額の国費をつぎ込んで整備した、たくさんの機能を持つ水田を後世に受け継がなくてはなりません。
私はかつて、稲WCSから「これは役に立つ」とインスピレーションを感じました。当初は、良い飼料になると思っただけでした。やがて、稲作農家の方々とおつきあいをさせて頂くうちに、乳牛達が稲WCSを利用することは、水田から飼料を享受させて頂くだけでなく、その活動によって、水田を維持し食料生産・治水・景観保全、資源循環・農村経済への貢献につながるかなと思うようになりました。
日本は北から南まで様々な気候があり、地域の特性があります。その地域の持つ有利な条件を活用した酪農業の展開が必要ではないでしょうか。
牛乳の価値は栄養や健康の為だけではありません。消費者の方がコップ一杯の牛乳を飲む時に、その付加価値を噛みながら飲んでいただけるようになるといいですね。