雪印メグミルクグループ 雪印メグミルク株式会社
酪農総合研究所 Research & Development Center For Dairy Farming

雪印メグミルクHOME > 酪農総合研究所 > 広報「酪総研」 酪農現場の声

酪農総合研究所

広報「酪総研」

酪農現場の声

No.4 農村文化のあり方を考える活動(北海道中標津町 佐伯 雅視さん) 雪印乳業株式会社酪農総合研究所 研究G 柳瀬 兼久


 北海道の東部に位置する中標津町は、人口2万4千人に対し乳牛頭数3万9千頭を数える酪農が基幹産業の町です。
 この町で酪農を営む佐伯雅視さんは、2001年に遊休サイロを利用し、中標津ゆかりの版画家の作品を展示する「荒川版画美術館」を牧場内に建設しました。それに続き、以前は集乳所として使われていた建物を改修し、農業関係の書籍や資料を陳列したり写真や絵画の個展会場として使用する「帰農館」(2002年)や、現代美術彫刻家の作品や佐伯さんがデザインした家具を展示する「ギャラリー倉庫」(2005年)を開設するなど、牧場を舞台にさまざまな文化活動をおこなってきました。
 整備が行き届いた牧場内にあるそれらの文化財や点在するオブジェは、牧場全体に独特な雰囲気を醸し出し、全国から訪れる人々を魅了しています。



荒川版画美術館

帰農館

牧場看板とギャラリー倉庫

活動のきっかけ
 佐伯さんが手がけてきたこれら文化活動の原点になったのが、1987年に佐伯さんたち酪農家グループが開業し、酪農家が経営するレストランの草分け的存在となったレストラン「牧舎」です。佐伯さんは牧舎を訪ねる全国からの観光客との語らいを通じて、地域の先達者たちが行ってきた偉業の数々、農村と都市の関係、農業に対する考え方など、数多くのことを知り、学んだといいます。そして、先達者が築き上げてきた農村や地域産業を衰退させることなく後世に引き継ぐことが我々の使命であり、そのためには都会志向を改め、農村が独自の考えをもって行動することが重要との考えに至ったのです。その考えを形にしたのが先に紹介した文化財の数々なのです。



牧舎

モニュメント

基幹産業を考える
 佐伯さんの活動の1つに、荒川版画美術館を舞台に行うコンサート「夜音(やおん)」があります。これはソプラノ歌手やギターリストを牧場に招いて行う小さなコンサートですが、酪農家はもちろん、この地域に移住した人や町に住む人など、様々な人の交流の場になっています。
 このコンサートは夜8時に始まるのが特徴です。酪農が基幹産業という中標津町においても、市民の娯楽である催物や酪農家の出席を求める会合などは酪農家が参加できる時間帯ではないことが多いといいます。その状況に佐伯さんは、基幹産業に従事する人たちが快適に生活できる環境を築くことが町の発展につながると考え、酪農家が仕事を終えゆっくり楽しめる時間に配慮したのが夜8時なのです。

フットパス構想
 そして今、佐伯さんが取り組んでいるのがフットパス構想です。フットパスとは、イギリスにある「歩く権利−The right of way−(道があるところは歩いて良い)」を尊重した気軽に楽しめるレジャーです。イギリスではたとえ私有地であろうと道があるところは自由に歩けることを「歩く権利法」(1932年)よって法的にも認めているため、地域の自然や歴史、産業を肌で感じる「歩く旅」は文化としてすっかり定着しています。
 日本でフットパスをいち早く整備し始めたのが根室の酪農家グループ「AB−MOBIT」(2001年)で、旧標津線跡や苗畑跡殖民軌道(馬鉄道)跡なども活用しながら、今では厚床(あっとこ)パス10.5km、初田牛(はったうし)パス13.5km、別当賀(べっとうが)パス10.5kmの3ルート(総延長34.5km)を整備するに至っています。
 佐伯さんのフットパス構想もAB−MOBITの活動を知ってからだといいますが、佐伯さんが目指すのは中標津町と弟子屈町を結ぶ全長約70kmの日本最長級のフットパス。今年2月に佐伯さんが代表を務める「中標津に歩く道をつくる会」(構成メンバー7人)を設立し、本格的に活動を始めたところです。今のところはモニターによる体験ツアーやメンバーによるコースの整備、そしてコース上の地権者との話し合いなどが主な活動内容ですが、佐伯さんは「最初から大きな花火を上げるつもりはない。10年後に『あぁ、こんなところにも歩く道があるんだ』と思ってもらえるような道づくりがしたい。安易に流行に乗ったり無理やり観光地にしたりするのではなく、小さなことを積み重ねながら、地域に根ざした歩く道を少しずつ形にしていきたい」と抱負を語ってくれました。

イギリス紀行で見たもの
 今年5月、佐伯さんは本場のフットパスを体験するためにイングランド、スコットランドを訪れました。10日間の「歩く旅」と「鉄道の旅」を経て感じたのは、「フットパスは完全に文化として根付いており、歴史的な重みやベースとなる部分は即席で作れるものではない。日本でフットパスを定着させるにはかなりの年月を要するであろう」ということだったといいます。
 それと同時に感じたのが“生き生きした町の姿”でした。フットパスで歩き渡る様々な小さな町には必ずレストランやパブがあり、コンビニや自動販売機が無いため小さな商店でも成り立つ。それぞれの店がそれぞれの機能を果たしているので活気が生まれる。その光景は佐伯さんが理想とする農村の姿でもあったのです。

農村のあり方を考える
 佐伯さんは農村が持つ中央志向が農村の衰退を招いているのではないかと考えています。つまり、地域活性化のために中央権力や補助金に頼れば、そこには中央の思惑が絡む。そうなると地域の主張や判断が曖昧なものになり、地域のアイディアが十分に生かされなくなる。これは地域経済も同様で、全国展開のチェーン店やコンビニが地域に進出すれば、中央主導の金品の流れが強まると同時に個人経営の小さな店が成り立たなくなるため農村が衰退し始めるというシナリオです。
 佐伯さんは、「農村のあり方を考えるならば、地域の文化や風土を理解し、農村独自のポリシーを持つことが大切。そこには機能性や利便性だけを追求するのではなく、住人が互いを認め、共存していく姿勢も必要なのではないか」と語り、その考えは佐伯さんの行動自体にも現れています。佐伯さんが今まで作り上げてきた様々な私設文化財は、地域で共存していく姿勢から地元の建具屋さんや大工さんに依頼し、自分の主張やアイデアが十分生かされるように自費を投じて建てられたものなのです。

フットパスへの期待
 今、旅行のスタイルは団体旅行から小グループや個人旅行に移りつつあります。また、そのニーズも“オルタナティブ・ツーリズム”、つまり各自がテーマを絞りながら伝統文化や伝統工芸、歴史的街並み、自然など、訪れる地域自体を楽しむ旅行が求められつつあるといいます。このような旅行スタイルの変化に伴い、各地で整備されつつあるフットパスも、今後ますます注目されていくでしょう。
 しかしここで注意しなければならないのはフットパスに対する姿勢です。このような旅行をする人たちは本格志向が強いため、流行に乗った巨額な投資によるリゾート的なフットパスより、むしろ地域にある産業や文化、風土などの地域独自の資源を生かし、地域住民と盛んに交流できるフットパスを支持することでしょう。そのためには本場イギリスのフットパスなどを参考に、取り入れるべきところは取り入れながら、将来をも見据えた独自性あるフットパスを築く必要があります。

 レストラン「牧舎」の経営から始まった佐伯さんの文化活動は、今回のフットパス構想によって、その舞台を牧場の敷地を越え周辺地域にまで発展しつつあります。また、フットパスを作る動きも全国各地で盛んになってきました。これらのフットパスが一時的な流行で終わることなく、本場イギリスのように「歩く旅」という伝統的な文化として定着して欲しいものです。
 なぜなら、フットパスの定着は単なる観光誘致にとどまらず、酪農を産業から地域の文化に変え、農村のあり方を変える原動力になる可能性を秘めているからです。

(佐伯農場HP:http://www.banei.nu/saeki/saeki.html
(中標津に歩く道をつくる会HP:http://nafoot.exblog.jp/