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広報「酪総研」

酪農現場の声

No.3 二足のわらじを履きながら… 宮城県蔵王町 村上 智子


海外旅行なんて自分には縁がないと思っていた私にそのチャンスが舞い込んだのは、主人が日本酪農青年研究連盟(酪青研)主催の経営発表大会「日本酪農研究会」で最高位の「黒澤賞」というすばらしい賞を頂いたことからでした。

集合写真


筆者
ファームステイ先にて(右から2番目が筆者)
平成8年に本格的に経営を引き継いだ私達は翌年、三十代後半にもなってから思い切って40頭ニューヨークタイストール牛舎を新築しました。きっと周囲の方々は私達を“なんて無謀な…”と驚きと不安の思いで見ていたことでしょう。私自身も「本当に大丈夫だろうか、主人を支えて行けるのだろうか」と不安が多く、全く自信はありませんでした。その不安に追い討ちをかけるようにアメリカからの導入牛が次々と乳房炎になり、乳質も最悪の状態に陥り、経営的にも窮地に追い込まれました。次第に朝から晩まで牛舎に居るのが当たり前になり、何のために生きているのかさえわからなくなるような日々が続きました。しかし、育成牛が順調に搾乳牛になるにつれ、体細胞数も年間を通じて良好な状態になり、乳質も安定してきました。


ちょうどその頃、地域のコンビニエンスストアで企画した「生産者の顔が見える牛乳」のメンバーに参加、続いて同じメンバーによるヨーグルトも販売されるなど運気も好転し、「今までの努力は無駄ではなかったんだ」と実感できるようになっていきました。そして自然に経営面も落ち着きはじめた頃に酪青研での経営発表のお話を頂いたのです。「うちなんかでいいのかしら」と思う反面、「そうよ!参加することに意義があるのだから」と自分自身を納得させながらの参加でした。しかし、思いがけず最高の賞を頂き、海外酪農研修のキップを手に入れたのです。「やったあ!!ヨーロッパに行ける。お父さん良かったね。ああ、このままがんばればいいんだよね」と本当に感激した瞬間でした。


しかし、その2か月後、当時高校1年生だった三女が突然の交通事故にあい、意識不明の重体から植物状態となりベッドでの生活を余儀なくされてしまいました。「どうして…」という思いから絶望の日々が続き、私は人に会うことさえできなくなりました。そんな時に私を支えてくれたのが、主人と2人の娘、酪農家の仲間達そして一生懸命に生きている三女でした。みんなが支えてくれたことで、私は次第に「そうか、私がくじけていてはいけない。少しだけ、ほんの少しだけでいいから前向きにならなければ…」と思えるようになっていったのです。そして2年が過ぎ、家族の勧めもあり、一度はあきらめた「ヨーロッパ酪農研修」に参加する決心をしたのです。


農家の写真酪農研修で見たヨーロッパの風景は本当に美しく、歴史を感じさせる建物が並ぶ街並みは色彩にも優れ、まさに「芸術」という言葉がぴったりのすばらしいものでした。限られた日程でデンマーク、オランダ、ドイツ、フランスと忙しい移動でしたが、一緒に研修に参加した方々とも意気投合し、楽しく過ごす事ができました。なかでもドイツでのファームスティは最高の経験でした。国が違っても同じ酪農家ということもあり、言葉の壁をこえての手振り身振りのコミュニケーションはなかなか楽しいものでしたし、老夫婦と若夫婦の二軒に分かれている住宅は、その周辺を美しい花々で飾られ、つい見とれてしまうほどのすばらしさでした。経営規模は、フリーストール牛舎にミルキングパーラーによるTMR給与、30頭の搾乳牛に育成牛という日本では考えられない内容で、国策で守られているのだなあと少々羨ましくなりました。そして、あっという間に11日間の日程が過ぎ帰国。牧場は主人と娘たちがしっかり守ってくれました。あらためて感謝の気持ちを込めて“ありがとう”。


昨年、後継者の就農と同時にフリーストール牛舎とアブレストパーラーを新築しました。とはいえ酪農を取り巻く現状は、生産調整、配合飼料や乾草類の高騰など、非常に厳しい状況ですが、良質の牛乳を生産していくことが私達の役割かと思います。来年は、長女と一緒にがんばってくれる新しい後継者が経営に参画してくれます。彼に期待しつつも酪農と介護の二足のわらじを履きながら、今後も“楽農家”として生きていこうと思います。